コラム的なもの 01


 

激嵐の中、中学校指定の雨合羽で北岳に登った時の話

 幼少期より親父に連れられ、栃木県内の低山をはじめ、夏休みには北アルプスや南アルプスの縦走、谷川連峰、丹沢、尾瀬、東北の山々などを登ってきました。正直なところ、当時の子供だった自分には、山の楽しみを理解できず(テント泊はとても楽しかったが)、縦走なんかしたら繰り返しのアップダウンにとにかく疲れるし面倒くさい。何故自分の家族だけ長期休みがあれば、山に登るのか疑問ばかり感じておりました。親父は学生時代に山岳部に所属していて、頑固な性格で海にはほとんど連れていってもらった記憶がありません。そして人懐っこい性格で山行の際には山小屋に着くなり、酒を呑み、他の登山者の方々とすぐに仲良くなります。そこで知り合った初対面の方々と一緒に「あの山が良かった、あそこは危ないんだよな」などとデカい声で語り合っておりました。当時10代の思春期であった自分は年配の登山者の方々と仲良くなる気にはなれず(当然山小屋にあまり同世代もいなかった)、ひとり小屋の端の方で山屋がうっせーわとばかりに、COBYのカセットプレイヤー(当時パナソニックのショックウェーブがめちゃくちゃ流行っていたが高くて買えなかった)で当時のNYのゴリゴリヒップホップのミックステープを爆音で聴きながらコーラなんかを飲んだりして時間を潰してました。

 そんなある日のこと、当時中学生の反抗期だった自分と兄、親父の3人で南アルプス北岳に登る事がありました。その日の天気は朝から酷く、登りはじめは嵐で最悪のコンディション。ちなみに親父は隣町のスポーツ店で購入したばかりのモンベルのゴアテックス(だったと思う)のレインを着込んでいた為特に濡れず、自分達兄弟は中学校指定の紺色の雨合羽(胸と背中の位置に、ライト反射テープ有りの安全仕様)の格好で蒸れまくり、登山開始10分で全身ビショビショ。。子供ながら、たかだか雨合羽でここまで性能が違うのかよと思い知らされた苦い経験でした。

 その日の僕らは早々に北岳 肩の小屋のテン場に着き、天気も悪く視界もほぼ無い為、速攻でくっそ重いブルーのテント(メーカー不詳)を組み立て中で爆睡していましたが、夕方頃「富士が見えるぞ!」とトイレで起きた親父のデカい声で起こされました。

疲労と稜線上の寒さもあり、テントの外に出るのも億劫だったが、トイレも行きたかったし、テントのジッパーを開け外に出てみると、そこは数時間前のガスガスの状況が激変していて、眼前に一面雲海の世界が広がっていました。そして夕焼けに当たった富士山が雲からぽっかりと顔をだしていて、静かに壮大にとても勇しく見えました。もっと大げさに言うならば、生まれて初めて言葉にならない美しい景色というやつを見た瞬間だったのかもしれません。

その後、親父の大きな声がきっかけになったのか知らないが、他の登山者もぞくぞくとテントから出てきて、皆静かにその景色を眺めていました。この時なんとも言えないテント場の一体感があったのを朧げながらに記憶しています。

まだ中学生のガキンチョだった自分は、美しい景色に素直に反応はしていなかった(正式には恥ずかしくて出来なかった)と思いますが、今42歳でもその頃の記憶が残っているのは確かで、山での景色やその場所に辿り着くまでの辛さ、道具選択の楽しみや軽量化の奥深さ、そして感動ってやつを自分の家族や仲間、もちろんソロでもまだまだ体験したいと思っています。

2022 3.1 shiro kojima