出会いと別れあり!?修験の道、大峯奥駈道 後編
前編ではDAY1とDAY2の様子と、パコ君との悲しい(!?)別れを経て、深圳の宿に到着した。ここまでちょうど半分くらいの行程。ゴールの熊野本宮大社までは残り50km。
それでは、DAY3、DAY4へいってみよう!
文と写真: 髙橋政人(__mt1989)
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PROFILE:
髙橋政人
栃木県在住、ギリ平成生まれのハイカー。
数年前に訪れた谷川岳で山の魅力に取りつかれて以降、関東を中心に山歩きを楽しんでいる。伊豆南北トレイル(120km)、八ヶ岳全山縦走、北アルプス縦走(75km)、福島ゲレンデトレイル(70km)など会社員の少ない休みを最大限生かしてロングハイキングを楽しんでいる。好きな山は地元宇都宮にある古賀志山と、はじめてテント泊をした飯豊山。
https://www.instagram.com/__mt1989/
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【DAY3】
3日目は深圳の宿から玉置神社までの約30km、獲得標高2,700m/3,200mを14時間ほどかけて歩く。行動時間が長くなるため、2:00に起床し、3:00前には出発した。出発時にはまわりのテントにも灯りがともりはじめていた。
ハイカーの朝は早い
今日の目的地である玉置神社まで30kmの標識。スタート早々心が折れそうになる笑
30分ほど歩くと、南奥駈へ突入した。この看板でちょうど半分かと思うと、うれしさや、楽しさとともに、「もうあと半分か」と一抹の寂しさがこみ上げてきたが、これからの険しい道を思うと先を急がずにはいられなかった。
ここも大峯奥駈道を象徴するような場所の一つ
歩きはじめて2時間、大日岳、石楠花岳、奥守岳などいくつかのピークを越えたころで日が昇ってきた。朝日とうっすら見える雲海に感動しながら歩いていると、目の前にハイカーが見えた。軽量なバックパックに日傘を差し、靴もvivoを履いている。自分も同じような恰好をしていた気恥ずかしさから、「こんにちは~」とそっけない挨拶をして、写真を撮っていた彼を追い抜いたが、後から同じ速度でぴたりと追走してくる。一回抜いたのに先を譲るのもいやだなとか、よく分からない理由で止まることをせず、先を急ぎ、結果15分ほどぴたりとくっついて一緒に歩くような形となった。さすがにペースも上がってきて、二人とも息が切れたところで、向こうから「vivoですね」と靴のことで声を掛けてきた。「はい!同じvivoですね!」といきなりギアの話で意気投合した。それが東京からきていたハイカー遠山さんとの出会いだった。
彼は、自分より少し年上で、大峯奥駈道+那智大社(+40kmくらい!)までを3泊4日で歩きに来ていた。この日の目的地が自分と同じ玉置神社だったことと、山に対するアプローチやスタイルが近かったこともあり、自然と一緒に歩くことになった。
雲海を照らす朝日が神秘的だった
この険しい道を2泊で歩き、さらに1泊して小辺路を繋ぎ那智大社まで向かうというハイカーの遠山さん
南奥駈に入ると、それまでの道とは大きく様相が変わり、新緑が豊かでアップダウンもゆるく、気持ちのいいトレイルが続いた。遠山さんとおしゃべりをしながらひたすら進み、7:00に持経の宿に到着した。無人の宿かと思っていたが、GWは歩く人が多いということで、宿を管理されている方が、水やジュース、食料を用意してくれていた。聞けばその方は有志で小屋の管理をされていて、自費で交通費数千円をはたいて小屋に来ているとのことだった。
なだらかで新緑が綺麗なトレイルが続く
営利目的じゃないから…と缶コーヒー(100円)と、コーラ(200円)それぞれ格安で提供してくれていた。さらに恵みのバナナまで。タンクに汲んだ水もタダで提供いただいた。ありがたい。(※本来はここから往復30分程度のところに汲みにいかないといけない)
持経の宿で元気をいただき、先へ進む。この日の目的地である玉置神社が参拝可能なうちに(16:00くらいまで)に到着したいねと話しながら歩く。今のところ時間はギリギリといったところ。そこから3時間ほどは、アップダウンはありながらも歩きやすい道。ギア8割、山1割、自家製スパイスカレー1割の割合の話をしながら進んだ。山は人を雄弁にさせるような気がしている。
どのピークも基本的にこんな感じで、あまり眺望は望めないことが多い
10:30。行仙宿という山小屋に到着。ここは「新宮山彦ぐるーぷ」という南奥駈道を中心に大峯奥駈道の再興と整備に尽力されている団体の方が管理されている小屋。またまたコーラを補給し少しゆっくり休憩することに。朝に立ち寄った持経の宿もこの団体が管理されている小屋らしく、こういった方々の保全活動があり、こうして歩けているのだなと、ただ感謝するばかりだった。
ファストパッキングの方々に追い抜かれる。話しながら走っていて、身軽な身のこなしが素敵だった
そこから笠捨山まできつめの登り返し。どこまでも続くようなつづら折りの道に足が重い。先に出発していたファストパッキングの軍団がサクサクと登って行く。どんな練習をしたらあんなふうに登れるのだろう…なんて考えながらひたすら登った。(後々聞いたらこの方たちはTJARや海外のレースにも出たことがあるような怪物さんたちでした!!)
笠捨山山頂からの眺め。どこまでも深い山々が連なる
山頂では日帰りで歩きに来ていたご夫婦と世間話をする。関西は熊野古道のほかにも六甲山や高島トレイルなどの比較的長いトレイルが多く、反対に関東の山は長く歩くというよりも一座一座が険しいよね~みたいな話をした。六甲全山縦走(40km超)や、高島トレイル(80kmくらい)もいつか歩いてみたい道だ。
笠捨山から尾根伝いに進み、地蔵岳へ。急な崖の鎖場の昇り降りが連続するスリリングな山で、この大峯奥駈道の中でも技術的な難易度が一番高かった区間だ。
6mほど垂直で下る鎖場。鎖はしっかりしていたものの、緊張がはしる
地蔵岳のピークに着いたのは12:40。このペースで行くと玉置神社へは17:00着になる。そこで遠山さんは16:00までに到着するため小走りで先に向かうことに。
1人になってからは辛かった。まず、地蔵岳から塔ノ谷峠という峠までは400m近くひたすら下る。それもなかなかの斜度の杉林で、眺望もなく、ただひたすら下った。
個人的に下りの方が登りよりもきつい。気が抜けない上、膝や足裏へのダメージが大きいからだ。へとへとになりながら到着した塔ノ谷という峠から、玉置山まではまた300mほどの登り返し。斜度はそこまでないものの距離があるトラバースを登らされる。このあたりから神社へ繋がる車道の脇を上がっていくような道になり、2日ぶりに自動車を見て少しだけ安堵感を覚えた。
玉置山まではゆっくりと標高を上げる。一部車道に出たり入ったりする
所々に標識があり、道迷いの心配はなかった
日没までには到着できる見込みもついていたので、このあたりからゆっくりと進み。17:00前に玉置山に到着した。
玉置山山頂のシャクナゲが綺麗だった
山頂から少し下ったところにある熊野三社の奥の院「玉置神社」。イザナミやイザナギなどを祀り、パワースポットとしても知られている
ビバークを予定していた駐車場に着くと、遠山さんのほか多くのハイカーが、駐車場が空くのを待ちながら談笑していた。残念ながら名物の栄山のうどんは終了してしまっていたが、こちらも名物の親父さんのご厚意で水を分けていただいた。
神社への参拝客がいなくなると、ハイカーがわらわらとテントを建て始める。
地面がコンクリートのため、自分や遠山さんが使っている非自立式のワンポールテントは建てられない。もう少し下って土の駐車場へ行くことも考えたが、蚊が多いため諦めて、カウボーイスタイルで就寝することに。このトレイル最後の夜ご飯を簡単に済ませ、寝袋に入り、星空を見ながら眠りについた。
この日は20張り近くのテント。綺麗なトイレもあり
テントやタープを張らずに、寝袋だけで眠るカウボーイスタイル。防犯上の問題や、色々な見られ方をされてしまうので、自己責任で(笑)
【DAY4】
4日目の朝は早かった。熊野本宮大社ではなく、その先の那智方面へ足を延ばす遠山さんは1:30にはスタート。見送ったあと、目が覚めてしまったので、自分も出発することにした。初のカウボーイは気温が8℃くらいだったこともあり、寒くもなく、思っていたより快適に眠ることができていい経験になった。
夜中の静まり返った境内をヘッデンの明かりを頼りに進む。4日目は下り基調で、距離も20km弱とこれまで歩いてきた道と比べると短く、心が軽かった。
暗闇の中、風に木々が揺れる音のみが聞こえてくる。ヘッデンで照らされたわずかな足元と、月明かりに照らされた薄暗い森の中をひたすら歩く。視野が狭まるからか、どんどん感覚が研ぎ澄まされるような感覚があった。ここまで80km近く歩いてきたけど、4日目にして身体のコンディションは最高だった。
4:00に到着した大森山。玉置神社から歩いてきたハイカーが2名ほどいた。さすが大峯奥駈道
ナッツやエネルギーバーなどが切れてしまったので、最終日の行動食はアルファ米を戻したものに
大森山を越えると、傾斜があり落ち葉で滑りやすい道をひたすら下る。これ下ったらもう登らないかな~とか考えていたら、また登る。これまでずっと繰り返されてきたアップダウンは結局最後まで続くことになった。
時折吉野川が見えて終わりが近いことを悟る
全区間通して想像以上に標識が多かった。あまりにも短い間隔で設置してあり、なかなか距離が縮まらないので、俺は途中から看板を見るのをやめた(JOJO風)
吹越峠を越えると、ゴールの熊野が見えてくる。写真は大斎原。一気にテンションが上がることはなく、もう終わってしまうという寂しさがわいてきた
最後のピークである七越峰を降りると、吉野川の川岸に出た。本来であればここから吉野川を渡渉して、足を清めるのが大峯奥駈道を歩いたハイカーの“お約束”だが、なぜかゴールを迎えたという感動がさほどなかったので、そのまま橋を渡って熊野本宮大社へ向かった。
この橋を渡れば熊野本宮大社までもう少し。吉野川の青がとてもきれいだった
アスファルトをしばらく歩き、無事熊野本宮大社へ到着。僕の大峯奥駈道は終了した。
距離にして96km、獲得標高登り8,300m、下り8,400mと自身の山行でも最も長く、険しいトレイルとなった。ただ不思議と歩き終わったという達成感は薄く、まだこのトレイルに浸っていたいという気持ちを抱きながら、熊野本宮大社へ参拝した。
熊野三山の一つ「熊野本宮大社」。あの有名な天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られている
トレイルから見えた大斎原。熊野本宮大社の旧社地。神聖な雰囲気だった
【延長戦】
参拝した後、パコ君と2日ぶりに合流。彼は弥山から下山後、五條という町の民宿に泊まって、何時間もバスに揺られて熊野に来たのだった。
もともとの予定通り、熊野本宮からバスで一駅(3km)の距離にある、渡瀬温泉おとなしの郷というキャンプ場に一泊し、翌日帰ることに。
パコ君を待つ間、ギアを天日干し
フリーサイトへの幕営料、隣接する温泉施設の入浴料を入れて1人1,400円と格安。キャンプサイトは川沿いにあり、芝生でふかふか、人も少なくて最高だった
キャンプ場近くにある焼き鳥屋さんで、至福の乾杯。焼き鳥や熊野おでんなど、どれも絶品だった
翌日は歩いて熊野本宮へ戻る。本宮から車を停めている橿原神宮までは、奈良交通の八木新宮線という日本一長い路線バス一本で帰ることができる。(4時間4,000円!!)
吉野川に沿って、4日間歩いてきた山々を眺めながらの帰路となった。
日本一長いバス4時間揺られて橿原神宮へ
こうして無事宇都宮へ戻ることができ、この旅は無事に終わった。タイトルにつけたように、別れあれば出会いあり、予想外のことが多く発生し、歩き終えて一月経っても余韻が残っている。
関東に住んでいると、なかなか縁遠く、アクセスの悪さも相まって敬遠されがちな熊野古道だが、「日本最古のロングトレイル」と称されるほど、歴史は深く、魅力の詰まった道だった。大峯奥駈道の他にも、中辺路や小辺路など歩いてみたい道がいくつかあるので、これを読んで少しでも気になった方は歩いてみて欲しい。
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【エピローグ】
トレイルログを書いたのははじめてで、とんでもない駄文だったかと思いますが、最後まで読んでくれた方(いるのかな?)には感謝です。
また、トレイルを一緒に歩いてくれたパコ君、遠山さん、トレイル上で出会ったすべての人たちにも感謝したいです。
またこの貴重な機会をくれた瓦奇岳の小島さんありがとうございました!
暇さえあれば山を歩いていますので、これを読んでいただいた方と山でお会いできることを楽しみにしています!Happy Trails!