出会いと別れあり!?修験の道、大峯奥駈道 前編




 今回テキストを寄稿してくれたのは、栃木ハイカーの髙橋くん。彼は瓦奇岳をスタートしてまだ間もない日にフラっと遊びに来てくれて、その後度々店に顔を出してくれる常連さん。1年前の全く無名だった(あ、それは今でもたいして変わらんかw)ウチの店をインスタで紹介してくれて、彼のフォロワーさんがお店に来てくれた事や、不定期で行っているナイトハイキングクラブ(夜から朝にかけてゾロゾロ歩くやつ)では素敵な写真を撮ってくれる、陰で瓦奇岳を支えてくれるお洒落ボーイ。プロフィールを読んでもらえばわかる通りのファストパッキングのスピードハイカーで、毎度インスタで結構な距離を歩いている投稿を見ては、いつも驚きと山を歩きたくなる気持ちにさせてもらっています。

 そんな髙橋くんが5月の連休に友人のパコくん(彼もオープンマインドなナイスガイの留学生でいつかちゃんと紹介したい)と大峯奥駈道に行くと教えてくれたので、前回アップしたナベさんと同じく、トレイルログを書いてくれないか無茶振りしてみたところ、快諾してくれました。北関東からだと、奈良まで移動するだけでも6時間以上、そこから電車の乗り継ぎと、アプローチするだけでもハードルが高い大峯。これから歩かれる方は勿論、ハイキングカルチャーそのものに興味のある方の参考や読み物になれば良いなと。

ちなみに「僕、初心者なんです」と言って、初めてお店に来てくれた時の髙橋くんですが、山道具屋を始めて以降お客様が仰る「初心者です」というワードを鵜呑みにしなくなったのは、実は彼がきっかけだったりします。

文と写真: 髙橋政人(__mt1989)
編集: 小島史郎 (kawarakidake)

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PROFILE:

髙橋政人

栃木県在住、ギリ平成生まれのハイカー。

数年前に訪れた谷川岳で山の魅力に取りつかれて以降、関東を中心に山歩きを楽しんでいる。伊豆南北トレイル(120km)、八ヶ岳全山縦走、北アルプス縦走(75km)、福島ゲレンデトレイル(70km)など会社員の少ない休みを最大限生かしてロングハイキングを楽しんでいる。好きな山は地元宇都宮にある古賀志山と、はじめてテント泊をした飯豊山。

https://www.instagram.com/__mt1989/



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【プロローグ】

5月1日の深夜、ハイカー仲間のパコ君と宇都宮で合流、深夜の高速をかっ飛ばし、奈良県の橿原神宮を目指した。到着後、仮眠を取ってから始発で吉野駅へ。これから吉野と熊野本宮大社を結ぶ、およそ100kmの「大峯奥駈道」を歩きにいく。1,300年も前から熊野三社(熊野本宮大社・熊野速玉神社・那智大社)へ参詣するための道として歩かれてきた「熊野古道」。その中でも最も険しく、修験道の開祖役行者が修験道として開いたとされるこの道は、いつか歩いてみたいと憧れていた道の一つだった。待ちに待ったGW。6日間の休みを手に入れていた僕には、どんなことでもできそうな無双感があった。


今回の計画は推奨5泊6日の行程を、3泊4日で歩く。一日の行動時間が長く、アップダウンも大きいトレイルだけあって、トレイルバディのパコ君とは事前に食料や装備について打合せを重ねてきた。

ちなみにパコ君は香港からの留学生で、山が好きないい奴。自分でMYOGったバックパックで参戦。電車に揺られながら「宇都宮からの運転疲れたね~」「歩くのが楽しみだね」そんな他愛のない話をしているうちに、肌寒さの残る吉野駅に到着した。7時29分だった。


トレイルバディのパコくん。短パンでやる気満々


スタートは近鉄線吉野駅


桜の名所で知られる吉野山を進む

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【DAY1】
吉野駅の気温は8℃前後。季節外れの寒波が来ていたこともあり、少しひんやりと肌寒い。パコ君はすぐにロングパンツを履いた。自分も短パンを履いてくるか迷っていたけど、ロングパンツで正解だった。
吉野駅からはしばらく吉野山の寺院や仏閣などの建造物をめぐりながら進んでいく。修験道の本尊であり、大峯千日回峰行で知られる金峯山寺の荘厳な本堂をはじめ、吉野水分神社、金峯神社など多様な宗教や背景を持つ建物が点在する様は、この吉野という土地の歴史の深さ故の包容力のようなものを感じながらの旅のはじまりだった。


水や食料を抜いたベースウェイトは3.7kg。水と食料を入れると8kg弱を背負ってのスタート(カメラは別)。機会があればギアの紹介も書きたいと思う


金峯山寺の本堂は圧倒的な迫力と威厳を放っていた。この辺は普通に観光に来たい


1604年に創建された吉野分水(みくまり)神社。ここでカリマーのバックパックを背負った修験者に軽々と追い抜かれる。UL修験者だった


金峯神社の修行門。まさにここから修行のような旅が始まる

歩くこと1時間半、金峯神社をすぎたあたりから本格的なトレイルに入った。
所謂「熊野古道」と聞いてイメージをしていた石畳の風情あるトレイルは、この前後の数百メートルしかなかった。まさに「修験の道」の名にふさわしい荒々しくも地味な道が続く。


石畳の道にテンションがるパコ君(元気なのはこの辺まで)


眺望がほとんどない道。ただひたすら標高を上げていく

歩き始めて最初のピーク青根ヶ峰、薊岳、四寸岩山と次から次へと標高を上げては下げ、ゴールまでにおよそ50ものピークを踏むことになる。
眺望はほとんどなく、二人とも口数が少なくなっていった。足摺宿、二蔵宿小屋という無人の宿を経て、大天井ヶ岳へ。長めの急登を登り、二人はすっかり無言になっていた。休憩をはさみながら歩を進め、しばらくするとこの大峯奥駈道を象徴するような【女人結界門】がある五番関に到着した。


歴史を感じる、苔むした大きな岩や、幹の太い木々が立ち並ぶトレイル


疲れが見え始めるパコ君。疲れると言葉を発しなくなるからわかりやすい


見たことのある場所に来て少し元気になるふたり。記念に写真撮る

ここから山上ヶ岳山頂まではこの日最後の登りだが、寝不足とアップダウンによる疲労でなかなかペースが上がらない。アミアミと山シャツという奇抜なレイヤリングをしてきたパコ君は常にびちょびちょだった。汗の処理が追い付いていないようで、それが彼の体力を奪っているようだった。

短い休憩を何度か挟み、洞辻茶屋に到着。事前情報では、土日しか空いていないと聞いていたけど、GW期間は大峯山寺への参拝客が多いことなどから営業しているらしかった。思わぬエイドの出現にコーラとゆで卵を補給。普段はほとんど飲まないコーラもハイキング中は最高の補給ドリンク。塩気の効いた茹で卵も食べ応えがあってすっかり元気を取り戻すことができた。


登山客の憩いの場となっていた洞辻茶屋。山上ヶ岳に向かう途中にはいくつも茶屋があった


ゆで卵(200円)、コーラ(200円)を補給。ゆで卵は神


山頂まではもう少し。急登を上がっていく

30分ほど登ると、「西ノ覗岩」という行場に着いた。ここでは修験者が断崖絶壁から身を乗り出し、捨身の行を行う修行場の一つらしい。切り立った崖の上からは、紀伊半島の奥深い山々が一望でき、この日一番の景色だった。そこから修験者のための宿坊がいくつも立ち並ぶ山頂エリアを進み、山上ヶ岳山頂に鎮座する大峯山寺へ到着した。


山上ヶ岳山頂からは紀伊半島の山々が望める


山頂にあるとは思えないほど大きく立派な大峯山寺

初日の幕営地の「小笹ノ宿」まではあと少し。
このときには早くテントを張って横になりたい!という思考しかなくなり、急ぎ足になるも、疲れた体にはテント場までの30分弱が果てしなく長く感じた。

小笹ノ宿は修験者向けの宿泊小屋があり、至る所に綺麗な湧水がじゃぶじゃぶと湧いていて、平らなところも多く、しかも芝生という天国のようなテント場だった。
7、8張すでにテントが張ってあったものの、どうにか二人分の設営地を確保し、テントを設営。ふたりとも寝不足と疲労から、夜を楽しむ余裕もなく、食事を流し込んで19時過ぎには就寝した。


ふかふかの地面が気持ちよかった小笹ノ宿のテント場

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【DAY2】

風はなく、至る所を流れる湧水の音が心地よく、快眠できた。3時に起床し、朝食の準備をしていると、昨日へとへとになっていたパコ君が早々に準備をしていたので少し安心した。とはいえ、2日目は弥山や八経ヶ岳、釈迦が岳など2,000m級の山々を超えていく大峰の核心部を進んでいくことになる。一抹の不安を覚えつつ、ヘッデンの灯りを頼りに歩き出した。
深い紀州の山々がうっすらと色づき明るくなってくる。太陽のありがたみを感じ、そして陽の光を受け、生き生きと輝きだす木々を感じられるこの瞬間は、山を歩いている中でも一番好きな時間だ。深夜を歩くようなナイトハイクはあまり好きではないけれど、日の出前の早朝に歩きだすのはやっぱり好きだ。


うっすらと色づく空。忘れていた太陽のありがたみを実感する


スタートから5時間ほどをかけて大普賢岳、七曜岳、行者還岳などの小さなピークのアップダウンを繰り返し、ひたすら歩く。トラバースや倒木が多い道が続き、なかなかペースも上がらない。二人とも会話少なく、パコ君は足の痛みを抱えているようだった。そんなパコ君の状態や予定よりだいぶ遅れ始めていることに焦りを感じていたせいか、この前後のことはあまり記憶に残っていない。(悔やまれる…)


倒木や狭いトラバースが続く。眺望が望める場所も少なく、まさに修行の道だ


どこまでも続いているかのような山々。自然の奥深くに取り残されたような気持になる

ほどなくして平坦な道になってきて、一ノ峠に到着。しかし、ここからはこのトレイルの中でも最もきつい400mほどをアップして弥山へ。人気の山らしく、このあたりからハイカーが多くなってきた。ワイワイガヤガヤと楽しそうに登っているハイカーを横目に、死にそうになりながら歩くパコ君と自分。パコ君の限界は近いようだった…


弥山小屋に至る登山道から見えた景色を楽しむ余裕はなかった


弥山の登りの階段。滝汗を流しながら一歩一歩登っていく

小屋は営業しているだろうか、水は汲めるだろうか、ひょっとしてコーラとか飲めちゃうのだろうか。そんな都合のいい妄想を膨らませながら、山頂へ伸びる無限に続くかと思われる階段を無心で登った。そして小笹ノ宿を出発して7時間、予定よりも1時間以上遅れて山頂に到着した。


弥山の山頂。多くのハイカーで賑わっていた。多くは日帰り、または弥山の山頂で泊まる人が多いようで、奥駈道を進んでいる人は少ないようだった

幸い弥山小屋が営業していて、無事水を補給することができた(100円/1L)。急にパコ君から、ここでキャンプをして、翌日下山したいと相談があった。疲労の蓄積と足の痛みが限界だったようだ。自分も一緒に下山することを考えたが、2日後にこのトレイルのゴールである熊野本宮大社で合流しようとパコ君から提案があり、自分は一人でトレイルを進むことにした。


下山を決め、早速ビールを開けるパコ君。(そんなにきつかったんだな…いい顔してやがる)※自分もコーラをありがたく補給した

弥山小屋で水を3L補給し、ずっしりとしたバックパックの重みを肩で感じながら先を急いだ。
2日目の目的地である深圳の宿までは残り10km、5時間ほど。水の有無やテントを張るスペースなど、不確定要素が多かったこともあり、先を急ぐ。
弥山から、八経ヶ岳、明星ヶ岳までの間は大峰山脈を象徴するような立ち枯れた木々が立ち並ぶ光景を横目にひたすら歩いた。


関東ではあまり見ない立ち枯れた木々が荒々しい山容


大峰山脈の最高峰八経ヶ岳1,914m。この標識もインスタなどでよく見ていたところだ

そこから大きく下り、五鈷峰、楊子ヶ宿小屋、孔雀岳まで続く道は、足場の悪い岩場の道や、倒木、トレースも不明瞭な場所が多く、なかなかペースを上げられない。弥山を出て4時間あまり、このだらだらとしたトレイルがいつまでも続く感覚あって精神的にきつかった。


倒木の多いトレイル。長いトラバースは精神的に来るものがある

孔雀岳を超えると、広い笹尾根の向こうに釈迦ヶ岳が見えた。目を凝らすと山頂には釈迦如来像が!関西の山はあまり詳しくない自分でも知っている山が目の前に見えてきたことで、一気に足取りが軽くなった。釈迦ヶ岳を越えれば今日の幕営地の深圳の宿だ。


なだらかな笹原の奥に見えた釈迦ヶ岳。山頂にはお釈迦様が見える!(写真では見えない…)

いくつかの鎖場や急登を進み山頂へ。山頂で出会ったハイカーさんから、深圳の宿のテント場のスペースはあまり残っていないと聞き焦る。急がなければ…ガレた道を30分ほど下り、16時35分深圳の宿に着いた。予定より1時間以上遅れての到着だった。


山頂の釈迦如来像は、かつて鬼マサの異名を持つ岡田雅行さんという強力(ごうりき)の方がたった一人で担ぎ上げたらしい。すごすぎる!!


想像していたより広かった深圳の宿。お堂と避難小屋、テントが張れるスペースがいくつかあった。水場もテント場のすぐ脇にあり、人も多かった


避難小屋の横のスペースを確保。風も遮ることができていい場所だった

少し寒かったから、懇意にしている瓦奇岳さんというイケてる山道具屋で購入したYAMAYA LIQUOR EQUIPMENT "X-1"に、140mlだけ忍ばせて持ってきたウイスキーをあおり、20時には就寝した。明日も3日目にして30km以上を進む長い道のりが待っている。縦走特有の興奮にあてられ、なかなか寝付くことができなかった。


瓦奇岳オリジナルボトル。ウイスキーにちょうどいい。パッケージが可愛い

うまくまとまらず、面白みのない文章になってしまったけど、前編はここまで。DAY3、DAY4、延長戦を収録した後編をお楽しみに!

[後編もアップしました!]